くどうれいんさんの文章を初めて読んだとき、「こんな言い方があったのか」と思った。日常の、ごく当たり前の瞬間——桃を煮る、猫を眺める、友人と笑う、朝ごはんを食べる——が、くどうさんの手を通ると、まるで宝石のように輝いて見える。
「桃を煮るひと」(ミシマ社、2022年)は、そんな日常の発見に満ちたエッセイ集だ。本屋として、この本を仕入れたかった理由はひとつ。「読んだ後に、その人の日常が少しだけ変わる本」だと感じたからだ。何かを教えてくれる本ではない。でも、読み終えると不思議と、明日の朝ごはんを少し丁寧に食べようとか、誰かに連絡しようとか、そういう気持ちになる。そういう力を持った本は、そんなに多くない。
くどうれいんという書き手について
1994年、岩手県盛岡市生まれ。詩人として出発し、現在は小説家・エッセイストとしても幅広く活動するくどうれいんさん。エッセイ集「わたしを空腹にしないほうがいい」(BOOKNERD)でその文体の魅力が広く知られるようになり、小説「氷柱の声」(講談社)は芥川賞候補にも名を連ねた。盛岡出身ということも、この本の魅力のひとつかもしれない。東北の、少しゆっくりとした時間の感覚が、くどうさんの文章のリズムにどこか宿っている気がする。急がない。流れに逆らわない。でも、見落とさない。そういう姿勢が文章の端々に感じられる。
「桃を煮るひと」はどんな本か
ミシマ社から2022年に出版されたこの本には、日常のさまざまな場面が収められている。食べること、本を読むこと、誰かと過ごすこと、旅をすること。特別な出来事ではない。大きな事件も起きない。でも、くどうさんにかかると、それが特別じゃないからこそ、愛おしいのだということがよくわかる。
タイトルの「桃を煮る」という行為は、まさにこの本のトーンを象徴している。桃を買って、砂糖水で煮る。ただそれだけの話なのに、読んでいるとなぜか、じんとくる。「こういうことをしている人間を、自分は好きだ」と思う。そして「自分もこういうことをしていたい」と思う。読んでいるだけで、ゆっくりとした午後が浮かぶ。エッセイはひとつひとつが短く、電車の中でも、寝る前でも、気軽に読める。でも読み終えた後にぼんやりと余韻が続く。「軽い」のに「深い」という、なかなか難しいバランスを、くどうさんは自然にやってのける。
「桃を煮る」という行為が意味するもの
本書のタイトルであり、核心にある「桃を煮る」という行為について少し考えてみたい。旬の桃を砂糖水でゆっくり煮るのは、決して効率的ではない。スーパーで買った桃をそのまま食べれば済む話だ。それでも、煮る。その「必要ではないけれど、したいからする」という選択の中に、くどうさんの生き方の核心がある気がする。急がなくていい。効率じゃなくていい。ただ、自分がしたいことを、自分のペースでする。そういう時間の使い方を、くどうさんはエッセイを通してさりげなく肯定してくれる。読んでいると「そうか、こんなふうに時間を使っていいんだ」という、静かな解放感がある。
この本の魅力:言葉の解像度と温度感
くどうさんのエッセイで特に印象的なのは、言葉の解像度の高さと、その温度感だ。「嬉しかった」「悲しかった」で終わらせない。「ちょっと照れながら、でも嬉しくて、うまく言えなかった」というような、感情の輪郭を丁寧に、でも過剰にならない塩梅で描く。大げさにしない。でも「そんな感じ」で流さない。ちょうど良い温度で言語化する技術が際立っている。また、周囲の人への眼差しが温かい。登場する家族、友人、出会った人たちが、みんな生き生きとしている。くどうさんが人を好きなんだ、ということが伝わってくる。そして読んでいるうちに、自分の周りにいる人たちのことも、少し丁寧に見たくなる。
ミシマ社という出版社について
「桃を煮るひと」を出版したミシマ社は、京都と東京に拠点を持つ独立系出版社。「一冊一冊、魂の込められた本を」という姿勢で、大手出版社では出しにくい、でも確かな価値を持つ本を出し続けている。のこのこ本屋では、ミシマ社の本を積極的に仕入れている。それは、ミシマ社の本が「売れるから」ではなく、「ちゃんと届けたい本だから」という姿勢で作られていると感じるからだ。書き手を大切にする、読者を大切にする、そういう空気が本から伝わってくる。
どんな人に読んでほしいか
「最近、何かを丁寧にやっていないな」と感じているひと。日々の忙しさの中で、食事もSNSを見ながら、移動もイヤフォンをして、なんとなく「ちゃんと見ていない」感覚があるひと。くどうさんの文章は、「丁寧に見ることの練習」になると思うから。何かを丁寧にすること、誰かとの時間を大切にすること、それが実はいちばん豊かな生き方なのだということを、押しつけがましくなく、さりげなく教えてくれる。また、日常のことを書いてみたいと思っている書き手にも。さらに、誰かへのプレゼントとしても最適だ。重すぎず、軽すぎず、「元気でいてね」という気持ちを込めて渡せる本。
のこのこ本屋より
のこのこ本屋では、くどうれいん「桃を煮るひと」(ミシマ社、ISBN: 9784909394880)を取り扱っています。読んだあと、なんとなく桃を買いたくなる。誰かに連絡したくなる。日記を書きたくなる。料理をしたくなる。そういう本は、長く手元に置いておく価値がある。忙しい毎日の、ちょっとした隙間に。あるいは、少しゆっくりしたい週末の朝に。この本はきっと、そっと寄り添ってくれます。気になった方は、ぜひ手にとってみてください。
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