毎日更新すると言いながら毎日更新できてないのがこのメディアで。
そして僕自身だろう。
まあ、それはそれでいいだけど。
やっぱり何かを書いている時間は楽しいと思うし、できるだけ毎日書けるようにネタを仕込んで、書ける土台だけは整えている。
このメディアっていえばいいのかコラムっていえばいいのか。ただ単純に日記っていえばいいのか。
毎日書いている(書けてないけど)これは、何を書きたいのか、何を作りたいのかが見えてこなくても別に良いのだ。
とはいえ。仕事として何かを作りたいと思ったときに、何かを作れない自分がいて、あーあ、なにも作れないなあと思ってしまう。
自分というものが特にないのかもしれない。
だれかに合わせて生きてきて、ほんで社会に出て。必死こいて自分の価値観を探してー。
そうしてきたもんだから、自分の考え、自分がこうだって思うことを自分の中に置いておくことが苦手になった。
価値を決めるのを、他人に委ねている。
徐々に改善されてきている気はするけれども、まだまだそれが色濃く出ていると思う。
そんなこんななので、そんなこんなでなくてもそうかも知れないけれども、何をつくろうかって常に考えながら、それでも見つからなくて右往左往している気がしている。9月の文フリ大阪は出店したいんだけどな、って思いながら。
改めて自分で何かをやって、自分でモノヅクリ(販売するページとかも含めてって意味で)をしていると、怖いなあって思うことが増えた。
アウトプットは、自分の人生を形作る気がしている。
自分が出したモノを、世間の人に評価されている気がする。
しかも、それがお客さんで実際に買ってくれる人に評価されているのだろうか、なら正常な反応だけれども、自分の中での架空の人物を作ってしまってびびっている。
びびりながらも少しでも作れればいいのだけれども、どこか自分の限界点を決めて勝手に諦めたりもしている。
今までの人生を、アウトプットされたモノで見たときに、どうしてもがっかりしてしまう自分がいるのだ。
自分ががっかりしているのではないな。がっかりしている人を自分の中で勝手に作り出して、その人を見て落ち込んでいるんだ。
勝手だなあと思う。本当に。
とはいえ。何かを作って販売して生きている僕なのですが。
当たり前かもしれないけれども自分で何かを作って販売するのが一番利益率も高いし良いわけで。夢ってほど高尚なものでもないけれども、そうやって生きていきたいと思っているわけで。
じゃあ、何かを作らないといけないよね、ってなる。
怖くても、自分の今持てる力をすべて注いでなんかしていきたいって思う。
でもそんな何かをみつけるところから始めないといけないよね。
そこから探すとなると、途方もないのよ。
でも、それを探すことこそが価値観を人にゆだねていることから脱却になるのではないかな。
そしたら、自分の軸で、自分の考えで生きていける気がしている。
今、本屋さんは死ぬまでやるだろうなって思っている。
天職な訳ではないかもしれないけれども、ライフワークだろうとは思う。稼げても稼げなくても、他の仕事をしていてもやると思う。
そんな何かをこの先なんども見つけるんだろうなと思って、少しだけ、本の少しだけワクワクしている。