「思いがけず利他」──「やさしくしよう」と思った瞬間に失われるものがある

「利他」について、ずっと誤解していた気がする。

誰かのために何かをしよう、人の役に立とう。そう意識した瞬間に、それはもう「利他」ではなくなっているかもしれない──。中島岳志さんの『思いがけず利他』(ミシマ社)は、そんな逆説から始まる一冊だ。

「利他」は計画できない

中島さんは東京工業大学の政治学者。でも、この本は難しくない。むしろ、読んでいると「そうか、あの時のあれがそうだったのか」と、過去の自分の経験が少しずつ言葉になっていく感覚がある。

本書が投げかける核心的な問いは、こうだ。「利他は、意図したものにはならない」。計画された親切、目的のある優しさ、見返りを意識したサポート……。それらは「利他」の形をしているが、本質的には「利己」の一種である、と。

では本当の「利他」とは何か。それは「思いがけなく」起こるものだ、と中島さんは言う。自分でも気づかないうちに誰かの役に立っていた。あの一言が、あの時間が、誰かにとっての救いになっていた。そういう「あと知らず」の行為の中にこそ、本当の利他がある。

仏教・文学・科学を横断する思索

中島さんの議論の面白さは、哲学的な抽象論に終わらないところにある。仏教の「利他行」の思想、正岡子規の随筆、現代の認知科学・進化生物学の知見を横断しながら、「なぜ人は誰かのために動くのか」を多角的に照らし出す。

岡倉天心やアダム・スミスの「共感」の概念、あるいは鶴見俊輔の「限界芸術」論が「利他」の議論に接続されていく。一見バラバラに見える素材が、「利他」という軸でつながっていく読書体験は、知的な快楽そのものだ。

自分の「与え方」を問い直す

この本を読んでから、「誰かの役に立とう」と身構える瞬間に少し立ち止まれるようになった気がする。「やさしくしよう」と構えるのではなく、目の前の人に集中する。その結果として生まれる何かを「利他」と呼ぶのかもしれない。

「ボランティア」「SDGs」「利他的な行動」──善意に溢れた言葉が溢れる時代に、あえて「思いがけず」という言葉を選んだ中島さんの視点は、どこか静かで、深い。

本屋のこのこでの出会い方

のこのこ書店では、この本をミシマ社の棚に並べている。隣には『桃を煮るひと』(くどうれいん)や『つくる人になるために』(光嶋裕介・青木真兵)も。ミシマ社の本は、どれも「今の自分に必要な言葉」を静かに差し出してくれる。

「思いがけず利他」は、哲学書でも自己啓発書でもない。「自分の生き方を少し見直したい」「人との関わり方が気になっている」──そんな人に、そっと渡したい一冊だ。

  • 著者:中島岳志
  • 出版社:ミシマ社
  • ジャンル:哲学・思想・エッセイ
  • こんな人に:人との関わり方を考え直したい方、哲学的な読み物が好きな方、ミシマ社の本が好きな方

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