「また、転職しようとしている」
そう思い始めた瞬間に、ふと気づく。これって、何回目だろう。職場は変わった。肩書きも変わった。給料も、通勤ルートも、名刺のデザインも変わった。なのに、どこか変わっていないものがある。それが何なのかわからないまま、転職活動だけがどんどん洗練されていく——。
ひらいめぐみのエッセイ集『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)は、そんな感覚を、言葉にしてくれる一冊だ。
「転職が上手くなる」という逆説
タイトルを見た瞬間、笑ってしまった人も多いはずだ。「転職ばっかりうまくなる」——これは自己嘲笑でも諦めでもない。むしろ、この時代を生きる多くの人が感じているのに、なかなか言葉にできなかったことを、ひらいさんがそのまま口にしてくれている感覚がある。
転職活動が上手くなる、というのは、一見すごいことのように見える。履歴書の書き方を覚え、面接での自己PRが洗練され、給与交渉も怖くなくなる。でも、それは「仕事そのもの」が良くなることとは、別の話だ。
書類の通過率が上がっても、日曜の夜の憂鬱は消えない。面接でどんな自分を演じられるようになっても、入社してみれば同じような違和感がやってくる。転職という「手段」だけが磨かれていく一方で、「本当にしたいこと」への距離感は変わらないまま——そういう状態に名前をつけてくれたのが、このタイトルだ。
だからこそ、このタイトルは刺さる。「ああ、これだ」と思う瞬間が、キャリアに悩んだことがある人なら必ずある。
ひらいめぐみ、という書き手
著者のひらいめぐみは、複数の職を経験しながら文章を書き続けてきたエッセイスト・ライターだ。彼女の文章には、愚痴でも説教でもない独特のトーンがある。自分の経験をそのまま置いておく、という感じ。読む側が「あ、これ私だ」と思う瞬間が、何度もある。
キャリア論の本を読むと、たいていは「こうすれば成功する」という方向に話が進む。でも、ひらいさんのエッセイは違う。成功の話をしない。正解を提示しない。ただ、転職を繰り返しながらも生きてきた、その記録と、そこから生まれた問いが綴られている。
「うまくいかなかった」ことを書いた本なのに、読後感が軽い。それは、ひらいさんが転職の失敗を自己否定の材料にしていないからだと思う。変わろうとし続けた自分を、ちゃんと肯定している。笑いながら。それがこのエッセイの、一番大きな魅力だ。
20代・30代・40代、全員に刺さる理由
この本は、転職を何度もした人だけのものではない。
「転職したいけど怖くてできない」人にとっては、転職を繰り返してきた人のリアルな声が、背中を押すものになるかもしれない。「転職したけど後悔している」人には、その後悔が特別なものではないと気づかせてくれる。「転職など考えたことない」という人でも、仕事と自分の関係について新しい視点を持てる一冊だ。
特に20〜40代のビジネスパーソンにとって、「キャリア」「仕事」「自分らしさ」は、常に向き合い続けなければならないテーマだ。コロナ以降、働き方の選択肢が広がると同時に、かえって「どう選べばいいかわからない」という混乱も増えた。副業、フリーランス、リモートワーク、パラレルキャリア——選択肢が増えるほど、かえって迷いも増える。
そんなときに、ひらいさんの言葉は、地に足のついた安心感を届けてくれる。答えは出ないけれど、迷っていいんだ、と。
百万年書房という選択
出版元の百万年書房は、文芸・エッセイの分野でじわじわと存在感を増している独立系の出版社だ。大手ではなく、小さいけれど確かな目を持った編集者たちが選んだ本、という意味で、そのラインナップには一定の信頼がある。
ひらいめぐみの文章が百万年書房から出る、というのは、とてもしっくりくる組み合わせだと思う。どちらも派手ではないが、じわじわと読者の心に入ってくる種類のものだから。書店員として、「この組み合わせは正しいな」と思える一冊だ。
読んだ後の感覚
この本を読んで、「よし、転職しよう」とも「やっぱり転職はやめよう」とも、どちらにもならないかもしれない。でも、自分の悩みが少しだけ整理される感覚、あるいは「これでいいかな」というような、柔らかい着地感がある。
正解を探している人には物足りないかもしれない。でも、「正解なんてないかもしれないけど、それでも進んでいく」という感覚を求めている人には、この本はとても必要なものだと思う。
自己啓発書でもなく、成功体験記でもなく、処世術でもない。ただ、転職を繰り返してきた一人の人間が、そのことについて正直に書いた本。それがこの『転職ばっかりうまくなる』だ。
のこのこ書店にあります
ひらいめぐみ『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)は、現在のこのこ書店の在庫にあります。ぜひ手に取ってみてください。
仕事のことで頭がいっぱいな夜、電車の中、休みの日の午前中——どのタイミングで読んでも、どこかにグッとくる一文があるはずです。
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